Airiyogalog

ヨガインストラクター育成講師をしている坂本亜衣理のBlogです。活動エリア:東京,恵比寿,千葉

気持ちいいと頑張る、の力加減。「タパス・苦行」

※古いブログからの転載です。一部編集しました。

 

2017/8

お久しぶりです! 最近はキャンプの仕事ばっかりでヨガの仕事をめっきり減らしたのもあってなんだか寂しい。

うまい働き方はないものか。

 

 

わがまま、、、

 

 

そうやって離れるたびにヨガの仕事って素晴らしいなあと思うのです。

だからこそ何か別のことをはじめてもきっと私はここに戻ってくるんだろうと思います。

手放したのに徐々にクラスを増やしているという矛盾。笑

 

 

 

▼ヨガのクラスでよく言われるあの二つのワード

「気持ちよく伸びて~」

「気持ちいいところまでやりましょう」

 

ということと

 

「できる限り頑張ってみて」

「どこまでいけるのかチャレンジする」

 

という心地よさと苦しみ(ポジティブなね) について考えてみました。

 

 

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クラスにおいては私個人としては両者あっていいと思うのですが、偏り過ぎてしまわないように気をつけています。

気持ちよく呼吸すること、動かすことでヨガの経験はより良いリフレッシュできるものとして記憶にも残る。

現代人は特に硬ーい心と体になりやすいものね。 私もそうだったし。。。

 

 

 

▼気持ち良いのお加減。

この気持ちよさ、追求することで許すことの一歩になるんじゃないかと思うのです。

 

 

しなければならないことから一度、抜ける。

 

 

心地よい、緩む、スペースができる。

 

 

 

そこに思いやることだったり、愛情がうまれるのではないかと。

(最近特にそれを感じる時期になりました。笑)

 

沢山いらっしゃいます、もう既に限界値まで頑張っているのに、まだまだ!!!みたいになっている人たち。

 

そういう時って他人の甘えやゆるみが許せないんですよね。

わかります。

 

かつて私もそうでした。笑

 

 

ヨガインストラクターの正社員時代は

こうしなきゃ!あれもしなきゃ!

今のままじゃダメ!きつくなきゃ効いてない!!!

私も頑張る!あなたも頑張れ!(To 後輩ちゃんごめんね)

みたいな考えに偏り過ぎていたなあ~

(これ、ホットヨガをしている方にはとても多いように感じます)

 

だから体もこころも硬くなってたように思います。

 

 

 

だからといって、

気持ちよさだけに執着してはいけないと思う。

 

それはある意味無知を生むと思うのです。

 

 

私はここまででいいの

とりあえずやるだけでいいの

 

それは現実の痛みや、サインから目を背けることもある。

マインド(頭)で思っていることと、体のサインは違います。

 

痛みがある=今のままじゃもっと危ないよ〜なんか変えようよ〜

のサインですから。

 

そんな時に自分の枠の中(気持ちいいだけのところ)にいても何も変われない。

 

それは身体だけじゃなく、マインドも同じ。

 

新しい、柔軟な発想ができなくなって頑固になったりしているかもしれませんよー。

(かつての私)

 

中庸でいること、バランスが必要ですね。

 

 

▼頑張ること、言い換えると「熱=タパス」の必要性

 

身体も鉄も同じ原理。

物質は熱がなければ変わることができない。

もちろんマインドやこころも情熱がないと動かない。

 

 

 

個人的には「あなたはだめだ!変われ!」ということではなく。

体の声として痛みやこわばりがあるならば(心もイライラや不安はサインだと思う)それをどうするのか?手放すために忘却するのか、ちゃんと昇華(消化)するのか?

 

ということがテーマに成り代わってくると思います。

 

その体、こころに、にこれから先も住み続ける私は

入れ物である肉体と、様々を感じるためのフィルターである感情にやさしく、光があるようにありたいと思う。

 

 

あくまで選択だけれど。

 

 

「そんなことどーだっていいのよ!」

 

 

という人もまたいていいと思うの。

それぞれやからね。

 

 

 

▼アーサナのチャレンジポーズがもたらすもの

チャレンジしないヨガを続けること(心地いいだけのヨガ)には

自分自身や抱える恐怖と向き合うチャンスを逃してしまうとも、私は思います。

 

それに自分を信じる心も!

 

 

例えばクラスで難しいポーズが出てきた。

 

 

やったことない!なんじゃそら!という動きたまにありますよね。

例えばバカーサナ。

 

yogajo.jp

驚くけれど、とりあえず言われたままにやってみる。

 

1回目、失敗しておでこを地面に打つ。

 

 

でも、それがなんだというのでしょう?

 

 

せいぜい「あいたた」

 

 

というところです。

 

 

死なないし、

財産も失わないし、

たとえ怪我してもいつか治るし

(やっちゃいけないことやらなければ怪我にはそもそもならないはず)

(それと怪我は体の弱いところ・使いすぎという癖のサイン。ありがたい出来事)

 

ヨガを一緒に練習する仲間同士なら失敗しても笑わない。

 

むしろ怖がらないチャレンジを賞賛してくれるはず。

 

もし仮に笑っている人がいたらもしかしたら何もせず、周りばかり見ている人かもしれない。

 

そしていつも失敗していたのにある日スッとできるようになる。

 

そんな人、クラスで何人も見てきましたよ!

 

こういう経験をクラスでアーサナ(ポーズ)を通して学んでいくと

日常のチャレンジにも不思議と恐怖心が減っていきます。

 

 

そして自分が何を恐れているのかわかる人もいるのではないでしょうか?

 

 

失敗が怖い

笑われるのが怖い

うまくできないのが怖い

完璧でないのが怖い

いつもと違うことが怖い

 

 

皆さんはどんな恐怖を持っているのでしょう?

(私はヨガはチャレンジ好きですが、日常においてはいろいろ持ってますよ〜笑)

 

そうやってアーサナを通してまた自分がわかる。

 

ここには知性・知恵がある。

 

こんな知性のあるチャレンジングな練習が私は好きです~!

 

 

▼終わりに

だから私はヨガワークスの先生が好きなんだ~。

それにヨガワークスの先生はクラス中に面白い哲学の話がもりだくさん!かなり影響を受けました。

 

 

 

そうそう、アーサナではないけれど、

瞑想はわたしにとってこの心地よさとチャレンジの間を教えてくれたように思います。

 

 

 

ただ座ることって苦痛という方も多いのではないでしょうか?

 

 

私もその一人でした。

 

 

 

でもある日はとても座るということが心地よくなったりすることもあれば、苦行でしかない日があれば本当に様々。

 

 

じっとすると、濁った水が静かになっていくように砂利と泥と水が分かれてくる。

そんなイメージ。

 

 

そのせいであることで頭がいっぱいになったりすることもある。

 

 

この先どうやって生きていけばいいんだ~とか

なんで彼は変わってくれないんだ~とか

 

 

でもそれもよく感じて考えると

 

誰かを操作したり支配したがってる?

とか

不安を感じてるぞ!!

 

 

だからあ~そういうことか私~という発見になるのよね。

 

 

 

別に解決しなくてもいいんです。

とりあえずそこに自分があったことをわかること。

 

 

わかれば、やめるか続けるか、その選択が生まれる。

 

 

イコール

 

変われると私は信じています。

(それの変化を続けるという習慣を身につけるのが大変なのだけど)

 

 

 

 

全てはそこから~!

 

 

ということで今日も元気にすごそう!

終わりが雑。。。