祈るという行為について
前回のブログの中で少し触れたことです。
「脳は一人称しか認知できない」
これご存知の方もいるかもしれませんね!
知らなくて、だから何?と思った方。
侮るなかれ。
ということはですよ。
他人に向けている感情や思考は全て自分自身に言い聞かせてるのと一緒なんです。
だからいつまでも嫌な人のことを考えていたり、
他人を否定していたり、
批判していたり、
怒りを向けていたり、ねたんでいたり。
負の感情を向けることは自分自身に負の暗示をかけてしまうそう。
自分はだめだ
わたしはこんなのはいけない
なんでできない!わたし!
とかね。
そういう癖をさらに強めていってしまう。
そうすると世界を見るフィルターはどんどん曇りがかっていく。
渡る世間は鬼ばっかやな、
と思う人と、
渡る世間仏さんばっかり♥
って人と。笑
引き寄せの法則なんかでもそういうこと、言ってますよね。
どっちでも、世界自体は何も変わってはいなくて、
どこからその景色を眺めているか?
ただそれだけですよね。
ここを天国と選ぶか
地獄と選ぶか、
どっちを選ぶかはいつだって自由!
いえーい!
と書いていて謎のテンション。。。
◆そして祈ることの効果とは?
例えば、あの人のやりたいことが成功しますように。
身近なあの人が幸せでありますように。
変な話、世界の人がみんなハッピーでありますように、と願うのは自分自身を幸せであると願うことと同じ。
これって愛ですよねー。
さっきも伝えたように
誰かに向ける愛情は結果的に自分に返ってくる。
誰かに向ける負の感情は自分に返ってくる。
愛情がないと、
認めることができないし、
何かを受け入れる器も小さくなるし、
自分自身を否定してしまう最初の段階って、これだと思うんです。
いわゆる、自尊心の低下みたいなもの。
日本人って、自尊心が低い人が多いそう。
それは文化的な背景もあると思います。
(謙虚にいなさいよ!的な観念)
それもあるけど、もしかしたらよ?
祈る、という行為が日常的ではないからというのもありそう。
(ちなみに私は特定の宗教には特に入信してないけど、宗教を学問としてとても面白いと思ってる。これからも今の所入信する気はない!)
お祈り?年いち初詣~ぐらいの人もたくさんいるものね。
それに、お祈りがなぜか要望要求になってしまうしね。笑
もしこれが、キリスト教徒とかで、毎週日曜は世界の平和祈ってます!とか
いただきますする時に、手をつないで恵みに感謝して食べてます、とか、そういう何かに祈ったり、感謝したり、という日常があると、きっと違う気がするんだ。
そう思うと、日本人のお祈りチャンスは
「いただきます」の瞬間なのかもしれない。
やおよろずの神がいる、という感覚を持ってるのは日本人ならではですからね!
お米を食べれることに感謝して、このお米が私を元気にしてくれますように!って祈る。
他を大切にする=自分も大切にする
こういうことなのかな、とつくづく思います。
でも、これを勘違いすることもあって。
自分を犠牲にして他人を大切にしてる人はちょっと方向を変えてもいいと思います。
まず、自分を喜ばせること、しましょう!
美味しいもの食べたり。
楽しいことしたり!
好きな人といる時間を確保したり。
そして、1日の最後には祈ろう。
今日、1日、接した人たちが幸せに満ちているように!
明日も身の回りの人が幸せであるように。
そしてわたしも幸せでありますように!
嫌な気分で眠ることはないはず。
結果、祈ることで自分がハッピーな気分って、、、
めちゃオトクやな!笑
そんなことを考えた日でした。
ちゃんちゃん。