Airiyogalog

ヨガインストラクター育成講師をしている坂本亜衣理のBlogです。活動エリア:東京,恵比寿,千葉

聖なる沈黙の10日間を過ごすヴィパッサナー瞑想に行ってきた④

さて、いよいよ沈黙解禁。

 

聖なる沈黙を解禁するのは少しづつ日常に戻るための回復食みたいなものだそうです。

 

 

その時は、ぬるっと、さらっと終わります。

 

誰かが

『はい!終わりでーす!』とかいうわけでもなく、

朝の瞑想が終わると入り口に『聖なる沈黙は解かれました』ってボードが貼られていて。(シュールすぎてちょっと笑いそうになりました。)

 

 

みんな生活していた大部屋に戻ってきたはいいにしろ、今まで隣で寝起きしていた人とも、まず何から話していいのかわからない。笑

 

 

・・・・・気まずい!!!!笑

 

 

あまりの気まずさにとりあえずトイレに行ってお茶を飲もうと部屋を出て行き、お茶場にいくと2回目の参加を終えた人が『お疲れ様です~』と声を掛けてきてくれました。

 

 

凄くホッとしたのを覚えています。

 

 

と、同時に、あれ、どんなテンションで話していくんだったっけと戸惑いました。笑

 

 

それまで、会話は自分の中の自分と、頭の中で大体行われます。

 

 

 

だから人と話す、という事が新鮮でした。

 

 

はじめにも書いたように、この日、久しぶりに人と話すことでお昼前に

『お腹すいたね~』

と自然に気持ちが漏れました。

 

これはびっくりでした。

 

 

話すということはそんなにもエネルギーを使うんだ、ということに驚きました。

 

 

 

普段人前で話すことが多い私にとってはあれはあれでとても修行になっているんだろう、と思うと同時に、瞑想することで、自分のチューニングを図る大切さが、言葉にはまだ上手くできませんが大切だということが直感的に感じられました。

 

 

瞑想にはいろんな人が来ていて、とても面白かったです。

 

 

バックパッカー、

自然とともに生きている人、

銀行をやめてこれから第二の人生を始める人、

個人事業をしている人、

お母さん、

妊婦さん、

外国から旅行に来ている人、

外国の人で日本に住んでいる人。

 

 

ほんとうに様々。

 

 

みんな目的はゆるっとしていて、

『悟りたいんです!!!!』

みたいな人は聞いた限りいなかった。笑

 

 

いたのかもしれません。

その気持ちがあったとしても秘密にするかもしれませんね。

 

 

そして、ここで思い出に残ったのはみんなの寝言が面白いということ。笑

 

 

私も自分の記憶でわかるのは、7・8日目あたりに、あまりにも笑いたかったのか?

 

 

夢の内容はよく覚えていませんがなんだか面白くて、夢の中で凄い笑ってて、

ふと「あ、私寝ながら笑ってるぞ」と気付きました。

 

『あー、笑いたかったんだよー。多分ー。』

 

って夢で言ったはずが実際に声に出ていたらしく寝言になっていたそう。

 

 

お隣の女性が聞いていたようで、教えてくれました。笑

 

 

確かに、すげーー笑っていました…

 

 

まあ、そんなお互いの感想や経歴をみんな話す。

それも凄い勢いで。

 

今までの静けさはなんだったんだ??????と

驚くほど、みんなおしゃべりさん、賑やかになります。

 

 

たまにちょっとそれに疲れて部屋に戻ったりもしました。

 

 

でも、人の声や会話は心地よくもあり、他人との関わりによって自分がここにいる、

安心する、と思えるのでした。

 

 

余談ですが、講話でも9日目までが深い練習で、10日目はほとんど深い瞑想の状態にはならないだろうと言っていたのですが、その通りで、10日目の瞑想はさっき話したこたを早速頭の中で反芻し始めました。

 

 

『あの人こうかとおもったらああだったんだなあ。面白いなあ。』

とかを、考えよう!

とせずに自動再生されているのです。

 

 

ハッとして、呼吸に集中しようとしても難しい。

 

 

そう思うと、これまでの9日間の集中力というのは、沈黙を守るというルールの効能は凄まじいものだったことが、そして生きている限り、なにもしなければ人間の心は揺れるのだと思い知らされました。

 

 

でも、私たちが生きていくのは、そうやって関わりながらエネルギーを交換しながら生きていく世の中です。

 

 

 

でも、この中で学んだ確かなことは、

渇望や嫌悪に反応しない・反発しない。

平静であること。

 

そして、世の中も肉体も感情も考えも全て変化していく。

だからそれらに渇望しても嫌悪しても仕方がない。

だから平静あれ。

 

 

ということ。

 

このフレーズは細かく分かれ、毎日の講話に必ず入っていました。

 

 

いかに、反応で生きているか。

自分で意識して生きる、という事の難しさ、それを思い知ったのでした。

 

 

 

ちなみに、参加者の中には偶然ご近所に住んでる方もいたし、いつかいきたい、オーストラリアに住んでる人もいたし、なにかの縁が何かに繋がるよう繋げたいという願いを込めて、連絡先を交換しました!

 

 

 

でもこれにも、渇望の執着や熱を持ちすぎず、フラットにいられたらいいなあ。

 

 

ただこれは感情を感じないロボットになれ!ということではないそう。

 

ではなく、喜んでもいい、悲しんでもいい。

でもそれによって動かされすぎない、それが続くように願うことで執着して叶わないことに嘆いたり、嫌なことを嫌だと言い続け自分を不幸せにするのではない、動じない平静さを培うことなんだと理解しました。

 

 

そしてこれはヨガの古くからある哲学書の二節目にかかれている、

 

 

ヨガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハ

ヨガとは心の動きを止滅することである

 

 

 

こういうことなわけで、

 

 

やりたいことは、

 

 

目指していることは同じです。

 

 

 

ヨガは現代ではいろんな目的のために行われていますが、実は古くからの教えはこの二行目に集約されているのです。

 

 

美しさや肉体の健康のために、

心の健康のために、

いろんな目的があっていいのでしょう。

 

ヨガの山をいろんなルートを通ったとしても、結果的にうまく進んでいくと誰しもが看板を目にするように、

ヨガってこういうものなのね、が伝わっていくといいな、と思います。

 

 

 

最後に、もともとヨガは長く座り瞑想のために様々なポーズが練習されていた、ということを知識ではわかっていたけど、実際の経験レベルでまだまだ私は練習が必要だと実感しました。笑

 

 

やる気スイッチがピコーンと再び入った音がします。。。

 

 

ゆるやかに、途切れず続けよう。

 

 

 

 

ということでした。

 

 

皆さんも、

激キツく、しんどく、もう嫌ーって一度はなると思うけど、それ以上に得るものは大きいのがこのプログラムでした。

 

 

ぜひ。笑

 

 

 

気になった人は人生の合間に、心の大手術にチャレンジしてみてください!笑

 

 

久しぶりにたくさん書きました。

ほほほ。

 

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