聖なる沈黙の10日間を過ごすヴィパッサナー瞑想に行ってきた③
さて、アーナパーナ瞑想を行った3日がすぎ、集中力が高まったところから
4日目、本格的にヴィパッサナー瞑想に移ります。
そこで起こったことは、
『これで・・・あってるの???????』
と言う感想です。えーーー!!ってね。笑
謎だらけだったと言うこと・・・。
正直今でもあってるのかわからない。笑
(古い生徒さんでもわからない人はわからないそう。)
本題のヴィパッサナー瞑想では今まで鼻に向けていた意識を身体全体に広げます。
というのも本来は体のすべての部分に繊細・荒いものなど大きい小さいの感覚はあって、ただ、感じ取っていないだけなんだそう。
それを隅々まで、詳細に観察していきます。
これがめちゃくちゃ、難しかったです。
例えば感覚があると(痛みや痒み)それに反発したり反応して、
感覚がないと、感覚を作り出そうと渇望して想像してしまう。(こんな風に現れている・・・はず・・・感じるかも・・・みたいな)
あると思い込もうとしてしまったり。
本当に人間の脳はすごいですね。
思い込むとそんな風に動いてくる。
鼓動を感じる部分も動かせたりしました。
意識が繊細になっていたからか横隔膜や目の筋肉の左右差も感じました。
ただ、6日目あたり、この自分の鼓動に酔ってめまいが始まってしんどくなるのでした。。。
そうすると、今度は感覚を消そうと嫌悪したり。
基本的に、私は嫌悪感を消すことに必死になってました。
痛みがあるとそれをどうにかアライメントを整えて治そうとしたり(職業病?)
めまいを治すために呼吸をコントロールしたり(じゃないと座ってられなかったけど)
ここでハッとします。
これ、きっと、日常でもどんなことに対しても同じことをしているんだろう。
嫌なことが気になってしまうのです。
あの人にこんな風に思われてないかな、
今の生活のここが、こうなったらいいのにな、
私のここが、なんでこんな風になるんだ!
とか。
そこにある良いものにしろ、何でもないものにしろ、嫌だ、と思う、それに反応する自分の強さに驚きました。
だから、この瞑想の間、
『生まれ続ける嫌悪感をどう扱うか?』ということが、少しは鍛えられたかもしれません。
もしかしたら、別の人は
『生まれ続ける心地いい感覚から離れられない』という人もいるかもしれません。
日常でも心地いい場所から動きたくない、動きたくないがために、何か代償を払うことになっていたりする人もいるかも、しれません。
それは人によって異なり、それぞれの真実となっていくわけです。
また別の日は左右差が無くなるようにひたすら左目の筋肉に意識が向いてました。
これはある種の渇望と嫌悪を兼ね備えた執着ですよね。
ヴィパッサナーの中では
渇望と嫌悪は、執着や恐怖、不安、怒りなどの人間を不幸にする感情が生まれるから気をつけなさいと言ってました。
これはかなり扱いが難しいなと思いました。
生きている限り、生活をする限り絶対に生まれ来るものたちです。
じゃあどうするのよ!!!
答え:平静でありなさい。
という、オールアンサー「平静でありなさい」というものでした。
イライラが消える魔法なんてない、感情がなくなる手術なんてない、心の扱い方を鍛えるしかないのです。
このペースで4~9日まで2段階を経て身体の感覚を感じる練習をします。
そして一日に3度、
〈1時間動かない強い決意を貫くチャレンジ〉
が始まります。
これ、私は最高53分保つことができました・・・
(最低10分の日もあった)
それが8日目だったんですが、それ以降、あんだけしんどくて1時間にたどり着けないなんてもう無理…
とそれ以降モチベーションが下がってしまいました!笑
その日の講話は私の心を見透かしたかのように
『決意の1時間を頑張ってみることは日常でも、何かをやり遂げる意志の強さを試されているようなもの。
日常でももうダメだ、と思うことはたくさんおきます。その時に、ぐっと強い意志をもって、その波を乗り切るのです』
みたいなことを言われて、
『あー、そういう(もう無理だよ、限界ーと諦める)とこあるー』がーん
と図星を録音に当てられたり。笑
それはのちにみんな感じていたようです。笑
『今は無理だ、時が来たら、準備ができたらできるようになるだろうと思っていませんか?まず、それを今からチャレンジするのです。そんな風に思っている限り、その日は来ません』
みたいなことも言われて。笑
がががーん!!!ですよね。笑
いやいや、しかしうまい言い方がわからないけども、私だってヨガを教える身です。
…要は私も勉強しております!笑
講話のいろんなお話についてわかってましたよ!!
聞いたことありましたよ!!!涙目
理論では。アタマでは。
知っていたつもり、出来ていたつもりだったんですけど、それが経験を通した知識になっていなかったことに気づきました。
講話でもよく言われていたのは、
どんな宗教にしろ人は神に救いを求めたりします。それが神になる人もいれば、先祖に、宇宙に、自然になる人もいます。
ですが、
『大金持ちになれますように』
『あの人と結ばれますように』
『成功しますように』
『穏やかに暮らせますように』
とどれだけ真面目に願ったところで、自分自身を本当に救ったり願いを叶えるのは願いを行う真面目さではなく、自分自身の生活や行動であるといっていました。
『知識を、本当の経験を通した知識にレベルアップさせることが必要なのです。』
と
ヴィパッサナー瞑想は、そういった、闇雲な崇拝でなく、実践的な方法論なのだ、と口すっぱく言っていました。
※宗教批判ではありませんのであしからず。ただ、違いを私の受け取った解釈で書いてます。
お腹すいたー神さま助けてー
というより
お腹すいたーよし、ご飯食べに行こう
そんな違いだと。笑
ただし、ヴィパッサナーの方法論はどんな宗教に入っていても実践できるそう。
世界で行われています。
なので気兼ねなくどうぞ!
そんな、瞑想という実践と、講話の理論がいつもリンクし、心のくせに気づきまくる10日間でした。
ヴィパッサナー瞑想がうまくいくと
『心地よい振動が全身をめぐり、それを自由に感じられる』
そうなのですが、全然感じることはできず、強いて言うならあのピリピリとしたか皮膚の感覚はそうなのか?
痺れただけなのか?!思い込んで作り出したのか?!?!という感じでよくわかりませんでした。笑
そう。結果的に、かの先輩方から聞いていた
『気持ちよかったよ!』
『一瞬のように感じましたよ!』
ということが私には起きませんでした。笑
ひたすら苦行!!向き合う!!!
心の汚濁を取り出す!!!という
スーパー難解大手術でした。笑
身体に関しても同じで、
股関節の痛み、膝の痛みが凄かったです。
が、ここでも講話で
『肉体の疲れは寝たら治る。頭が寝なくても横になっていればなおる。頭の疲れは瞑想でとる。ただ寝ても頭の疲れは治らない。』
みたいなことを言っていました。
たしかに、めちゃくちゃ頑張って、痛くて痛くて、あーもうこりゃ明日はきっと座れないかもと思っていたら意外と寝て、起きたら痛みは無く、すっと座れるのです。
いつもの日常で同じ時間寝た時より頭はクリアです。身体も元気です。
だからビジネスマンに瞑想はヒットしたんでしょう。
これは実生活でかなり感じますが集中力の鋭さがすごいです。
平均不注意な私でも6時間、いわゆる
『フロー状態』に入り続けられます。
気づいたら6時間とか平気で立ちます。
とはいえ、ちゃんと瞑想すること自体が散漫マンな私にとってはかなりの修行といえます….。
さて、次はいよいよ10日目の朝、聖なる沈黙が解禁となります!
◆LINE@
https://line.me/R/ti/p/%40zil6834x
https://www.instagram.com/airiskmt
https://www.facebook.com/airi.sakamoto
貸切空間で瞑想とヨガで穏やかに過ごせる週末キャンプイベント
『EarthingCamp』を主催してます!
次回9月29・30日(土日)開催予定
詳細下記より。
プライベートレッスンももう少しだけ募集します。ちょっと執筆がこちら追いついていない・・・